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ラッシーさんは残念でした。昨年、試合中に逝去された三沢光晴氏のノアに全日から集団移籍されて間もなく引退されたようですが、あの伝説の「夢のオールスター戦」でのセミでS小林を退けたIWA世界戦をR木村選手を観たのが最初。最後は、出張先の冬の地方会場でのAスミルノフ相手に金網マッチで流血戦を展開したにも関わらず、ノーTVとなって疎らな客席に盛り上がりのない試合が、末期の国際プロを象徴していて寂しい印象でした。その後数団体を経て、マイクパフォーマンスに活路を見出したのが世間的に認知されたようですが、地力がありながら全盛期にスター性が欠如していたために脚光を浴びる機会が少なかったのは、木村さんにとっても不本意であったかと思います。やはり好人物ぶりがプロレス界ではアダになったのかと…?合掌!!
投稿: 誉太郎 | 2010年5月31日 (月) 10時50分
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ラッシーさんは残念でした。昨年、試合中に逝去された三沢光晴氏のノアに全日から集団移籍されて間もなく引退されたようですが、あの伝説の「夢のオールスター戦」でのセミでS小林を退けたIWA世界戦をR木村選手を観たのが最初。最後は、出張先の冬の地方会場でのAスミルノフ相手に金網マッチで流血戦を展開したにも関わらず、ノーTVとなって疎らな客席に盛り上がりのない試合が、末期の国際プロを象徴していて寂しい印象でした。その後数団体を経て、マイクパフォーマンスに活路を見出したのが世間的に認知されたようですが、地力がありながら全盛期にスター性が欠如していたために脚光を浴びる機会が少なかったのは、木村さんにとっても不本意であったかと思います。やはり好人物ぶりがプロレス界ではアダになったのかと…?合掌!!
投稿: 誉太郎 | 2010年5月31日 (月) 10時50分